煙りが目にしみる

 北京に来て2、3日してからデパートに行った。最初に目に入ったのがパイプであった。「パイプが吸える」と内心ほくそ笑み、数あるパイプを吟味し始めた。

 筆者はかなりのヘビースモカーである。普通の人が吸う、いわゆる紙たばこではなく、パイプたばこの愛用者で、この筋、数十年になる。新しく赴任した大学で、学生に名前を覚えられる前に「パイプの先生」というレッテルを常に付けられてきた。

 ただ、今度、北京を訪れるに際して、愛用のパイプとたばこを鞄の中に入れなかった。おそらく、中国でもパイプが吸えるだろう、という軽い気持ちと、もしパイプたばこが手に入らなかった禁煙をしてもいいか、手に入らないとしても、その対策として4ヶ月分のたばこを中国に持ち込むわけにはいかない。

 そういうことだったから、パイプを見つけたときは、まず一安心という気持ちだった。

 品定めがおわり、ではこのパイプを買おうかとした時、待てよ、もう一つ確認することがある、と気がついた。本来ならパイプを売っていればどこかでパイプたばこを売っているのが当然だ。しかし、そこは言語と通しての異文化理解を専門の一つにしている筆者にとって、外国に行けば自分の論理で物事を判断しないことは信条である。

 そこで、念には念を入れて、パイプたばこはどこで売っているかと尋ねた。勿論、たばこ売場を教えられた。そのたばこ売場でパイプたばこを理解させるのに四苦八苦。勿論、筆者が中国語が出来ないのと、売り子が英語も、当然、日本語も分からないからなのだが、どうも、パイプたばこの存在自体を知らないような気配なのである。結局、そのデパートにはない。どこにあるか分からない、というのが知り得たすべてだった。そこから数日パイプたばこ探しの行脚が始まった。

 まず、たばこを売っているあちこちの店で聞く。すべて「没有(ない)」であった。道を歩きながらパイプを吸っている白人を捕まえ、そのたばこはどこで手に入れたのかと尋ねた。返事は「In Europe」、一瞬、北京の地名かと戸惑ったが、それがヨーロッパだと気づいて失笑。しかし、彼はかつて、こことここにパイプたばこがあったと親切に教えてくれた。その店に行き、パイプの絵を描いたりジェスチャーをしたりで、ようやく相手が理解したようで[明天(明日)」来いという。なるほと、問屋を探してくれるのだろうと、翌日に託した。しかし、翌日も気の毒そうに「没有」が返ってきた。

 それ以来、いまだに見つからない。筆者が教えている北京日本学センターの主任(所長)がこの話を聞いて、絶対にある自分が探させようといってくれた。2週間ほとして、その主任が3箱届けてくれたが残念ながらキセルようのきざみたばこでこれはパイプには使えない。

 このような事情で、長年のパイプ党にとって紙巻きたばこに浮気する気にもなれず、幸か不幸か北京に来て以来3ヶ月近く禁煙をしている。

 その間、北京では5月15日に公共の場所での喫煙を禁じる法律が発効した。このようなことがあるとたばこ飲みとして(禁煙中でもたばこ飲みを自負するのがたばこ飲みのサガか)悲しいことだと思う。たばこを飲む機会が制限されたからではない。たばこを飲む人間が自覚してたばこを飲み、周りの人に迷惑を掛けないできたら、これほどたばこを飲むことについてあれこれ言われなかったのではないだろうか。

 その点、北京の法律はレストランを公共の場から除外しているのには納得がいかない。誰にも煙で他人の食事をまずくする権利はないはずだ。

ところで、日本では世界禁煙デーへの理解を求める厚生大臣の発言を無視して、閣僚懇談会でたばこを吸い続けた橋本首相が嫌煙の市民団体から「ワーストスモーカー」としての「称号」を受けたそうだ。首相からこういうことだから、こと喫煙に関しては日本人の世界での評判は悪く、本当の愛煙家の肩身を狭くしているのだ。

 閑話休題。パイプたばこが手に入らない北京でパイプを売っているのはなぜだろう。これは外国人が異文化体験をして、自分の判断基準で相手の文化がけしからん、おかしいなどというの(例えば、アメリカ人が中国の交通を見て、車は”right side”(正しい側)を、日本では”wrong side”(間違った側)を走っている、というようなもの)とは違う。

 論理的にはどう考えても正解は考えられない。100歩譲って、パイプは何らかの意味でのステイタス・シンボル(中国にはこういう概念がすでに広がっているのでしょうか)として飾りの意味しかないのか。あるいは、パイプたばこのある地域(欧米、日本はじめアジアの諸国など、さらに中国でも上海などにはあるのかもしれない)へのおみやげとして売っているのであろうか。

それなら、パイプの一本でも日本に買って帰ろうか、ということになるが、せっかく、この中国的論理の矛盾で3ヶ月、いや帰国の時点では4ヶ月以上、禁煙に成功させてもらったのだから、中国で迎えた還暦を機会に、第二の0歳からは永久に煙から遠ざかろうか、大げさに言えばハムレットの心境である。
                            (1996年6月15日、北京にて) 

 この話には後日談がある。帰国も間近の6月の下旬何気なく、「没有」といわれた店の前をとおり、ウインドウをのぞくと、パイプたばこが並んでいるではないか。5、6種のヨーロッパのパイプたばこがあった。どうも、その店では筆者がたばこを探しにいったことでパイプたばこの需要があると判断した店主が輸入したのであろう。そこで再びハムレットの心境である。せっかく、手に入れてくれたのだから、買って楽しむか、せっかく、4ヶ月近く禁煙したのだから、この際、無視して禁煙を続けるか。その日は買わずにホテルへ帰ったが、この文を書いているから、などと言い訳をしながら、結局、翌日、2パック、買ってきた。やはり、たばこ飲みなどというものはそんなもので、なんやかやと言い訳をしながら、飲み続けるのである。

                           (1996年7月25日、つくばにて)